彷徨する言葉と意味

 明晰な知の運動がある瞬間、全くの無知であることを自らの意識に曝しだす。例えば古井由吉の小説はそのような瞬間から始まるのではないか。あるいは次のようにいえるかもしれない。作家という存在が言語表現の可能性の担い手であるとすれば、古井由吉はその可能性の終焉から出発すると。
 いわゆる小説というものが「何か」についての言語表現であるという自明性を引き受けるとき、しかし古井由吉の視線からはもはや「何か」という対象の確かさが欠落している。

人の顔ならば、いつでも、誰にも見られていない時でも、たえず無意識のうちに発散させている体臭にも似た表情があるものだ。そんな表情まできれいに洗い流されたように、その顔は谷底の明るさの中にしらじらと浮かんでいた。そうかといって、よく山の中で疲労困憊した女の顔に見られるように、目鼻だちが浮腫の中へ溺れていく風でもなく、目も鼻も唇も、細い頤も、ひとつひとつはくっきりと、哀しいほどくっきりと輪郭を保っている。(古井由吉『杳子』)

 

それは人の顔でないように飛びこんできて、それでいて人の顔だけがもつ気味の悪さで、彼を立ちすくませた。ところが、顔から来る印象はそれでぱったり跡絶えしまって、彼はその顔を目の前にしながら、いままで人の顔を前にして味わったこともない印象の空白に苦しめられ、徐々に狼狽に捉えられていった。
  谷底に一人で座る杳子の姿を捉えた彼(S)の視線がさらに捕捉する杳子の顔は今や彼にとって翻訳(=伝達)可能な顔ではない。それはこれまでに彼の視線が捉えてきた数々の顔を表現する言葉を受け付けない、「それではない」顔としてのみ伝達が可能なのである。彼の視線の先にある顔は既に具体的な対象としての顔ではない。今や、その顔は顔としては不在であるにもかかわらず、顔として描写される。古井由吉の小説は、このとき「顔」という対象、作家の意識が向う先にある対象の不在において成立している。「表現というものの無力さの認識」において表現(=小説)を実践する逆説。それは現在、「小説」が不可能であるということの認識、換言すれば、小説の不可能性における「小説」(言語表現)の試みではないか。
 「脱イデオロギーの内向的な文学世代」という言葉によって、いわゆる「内向の世代」を批判した小田切秀雄は、作家という概念、つまり作家の社会への思想(意識)的アンガージュマンを最後まで信頼していた、あるいは信頼しようとしていた。

 

さいきん注目されるようになった新人作家・批評家たちは、若干の例外を除いて、自我と個人的状況の中にだけ自己の作品の真実の手ごたえを求めようとしており、脱イデオロギーの内向的な文学的世代として一つの現代的な時流を形成している。(小田切秀雄「満州事変から四十年の文学の問題」)

この小田切秀雄の批評に対し、柄谷行人は小田切を外界の「確かさ」という雰囲気に寄り掛かるオプティミズム(柄谷行人「内面への道と外界への道」)、と評することで、俗に謂う「内向の世代論争」が形成されることとなる。

 

小田切氏らは、彼ら(内向の世代)の「方法的懐疑」をたんなる「脱イデオロギー」「脱政治」と解してはばかるところがない。それはむしろ羨望すべきオプティミズムといわねばならない。外界が確実にみえていることを疑ったことすらないことを、それは示しているからだ。(柄谷行人「内面への道と外界への道」)

小田切秀雄にとって作家とは常に「自我と個人的状況」、すなわち、私人であることを越え出て、なお普遍たりうる思想それ自体のことであり、理論と実践の二つの契機を意味的統一として具現化する実存なのである。作家とは自身の強靱な意識を拠所に、常に外界を対象として捉え、そこにアンガージュマンする存在なのである。
 小田切秀雄の信念とでもいうべきアンガージュマンする作家は、しかし、「文学と政治」という枠組みを越えて「作家と言語」というあらたなシェーマのもとで次のようにその場所を与えられる。
 二十世紀最大の発見の一つ、無意識に確かな存在の根拠が与えられると、作品の起源に君臨すべき作家はそこを言語という抽象性にとって替わられる。言語がその絶対的な優位性を誇示するや否や、作家は作品の主人たる地位を剥奪される。作品世界の創造主たる作家の、当の創造世界に対する責任についての不信、(「作家は自らの作品世界について何も知りはしない」M.ブランショ)は、逆に作家をこそ存在せしめる言語の強度への信頼へと移り変わる。作品が作家に属するのではなく、作品によって初めて作家が作り出されるというのである。
 作家は今や強靱な自身の意識を前提とすることによって、普遍的な意味としての思想(人生)を語るのでもなければ、孤独な内面の特殊性(私生活)を幾許かの才能によって公共性へと昇華するのでもない。作家とは、ただ言語の操り人形となることを承諾することによってのみ幽かな輪郭が与えられる空虚な存在であるというのだ。作家はもはや自らの意志によってはどこにもアンガージュマン(関与)することはない。ただ言語によってアンガージュマン(拘束)を強いられるに過ぎないのである。
「作家と言語」という問題構成の中で、作家が言語表現の前景から退き、替わって、言語が台頭する状況、作品の作家に対する優位性は端的にポスト・モダニズムとして時代の、あるいは思想の寵児としてもてはやされる。柄谷行人が述べる「内面への道とはいわば外界への道にほかならない」とはしかし、たんにポスト・モダニズムを示唆するものではない。それは、古井由吉の視線を補助線として見つめ直すとき、おそらく小林秀雄によって提起された「私小説」の問題(=私小説論)として扱われるべきことである。だかここで性急に「私小説」について触れることは避ける。しかし、柄谷行人が「内面への道」を「方法的懐疑」と評したことは注視に値する。そこには自己意識に充足する安穏とした批評や、徒に主体を回避するポスト・モダニズムはない。
 古井由吉の視線はもはや「外界を確実に捉える」ことの破綻を呈している。それゆえ逆説的ではあるが、氏にとっては小田切秀雄が考える以上に作家のポジション(=アンガージュマン)・役割・自身の視線が極めて意識的に、意図的に配置されることとなる。柄谷行人のいう「方法的懐疑」とは古井由吉にとってはまさに自身の視線というアンガージュマンにほかならない。そしてこの視線=アンガージュマンは常にかつ既に古井由吉というその人の「方法的懐疑」を離れて方法一般に解消される宿命を負う。

 

本書につけ加えるべきことはとくにないが、ありうべき誤解をさけるために一言いっておきたい。それは、『日本近代文学の起源』というタイトルにおいて、実は日本・近代・文学といった語、さらにとりわけ起源という語にカッコが附されねばならないということである。本書はそのタイトルが指示するような「文学史」ではない。「文学史」を批判するためだけ文学史的資料が用いられているのである。だから、本書がもう一つの「文学史」として読まれてしまうとしたら、私は苦笑するだろう。しかし、本書を回避したところに生きのぴるだろう批判的言説に対しては、欄笑するだけである。(柄谷行人『日本近代文学の起源』あとがき)

おそらく、柄谷行人本人の但書にもかかわらず実際「苦笑」と「欄笑」は同時に実現されている。『日本近代文学の起源』は「文学史」に対する批判としての役割を全うすると同時に、その瞬間、新たな「文学史」の起源として機能する(内面化=一般に解消される)ことによって「苦笑」を招き、さらにこの新たな「文学史」を相対化しようと努める批判的言説=批評によって確固たる「文学史」のポジションを与えられることにより「作家=柄谷行人」の「憫笑」を得ることになる。
 およそ、「方法的懐疑」とはそれがマジョリティーに対するカウンターとして働くからこそ「懐疑」なのである。「方法的懐疑」が「方法」一般として受け入れられるときそのカウンターパワーとしての本質は既に変質している。そして、作家とはこの「方法的懐疑」の危機を「書き続ける」という行為によってのみ乗り越えようとする存在である。
 どれだけそれを拒否しようとも、あるいは論理的に否定しようとも、小田切秀雄に見る素朴さ、換言すれば作家は情念の深奥で透明な表現への到達、思考と言語と自身との三位一体、そして言葉と対象の一致という信念によって、自らの意識としての作家のポジションを確実にしようと奔走する。しかし、意識としての作家、言語によって思考する人間にとって、当の言語が思考によっては手に入れられぬということの驚異は、作家から言語への信頼の転回を余儀なくする。細心の注意と先回りによって「苦笑」と「憫笑」を自嘲というパフォーマンスを演じることで回避しようとする註釈すら無視し、言語は既に作家を置去りにしてその先へと進む。そして作家の否定は逆説的に意識としての個人をコギトから救いだすことで、私を責任(罪)から解放する。
 先験的な実体としての作家を否定し、思想としての作家に終止符を打った言語が準備したものとは、無意識である。意識の背後にあって、その活動を基礎付け、またこの意識を錯乱へと誘う無意識。この無意識の誘惑によって、意味の起源は意識の場面から無意識の暗やみへと移し替えられる。このとき主体の根拠としての自意識は棚上げされることで自己同一性という拘束(アンガージュマン)から解放される。アイデンティティという自意識の神話は意味の産出の起源という責任から解放されることによって解体される。そのかわり無根拠となった自己が、言語内の自由を無限の自由と錯覚し、幻想の渦中に戯れる。この幻想の只中で、私はその行為についてのすべての責任から解放される。もはや私に対してはどのような審級も、どのように悪意に満ちた陪審員たちもその責任(罪)を問う事はできない。私は無罪だ。いやそもそも罪という事態、すなわち私自身であるという、内在的な根拠が喪失したのである。
 無根拠な自己を演出する演出家は、もはや自己の内部、私の意識ではない。「犯罪者」はつねに精神鑑定(言語の審判)の結果、「狂人」として扱われることによって、その責任能力(自己同一性=罪)を否定され、不在となる。ただしこの不在は一瞬でしかない。次の瞬間、彼は既に別人である。そして、事後的に新たに形成される私がつねに手元に置かねばならぬもの、それは一冊の辞書より他にない。言語(無意識)にその身を委ね、そのつど不定形に表象される主体の輪郭は、その輪郭が受容されうる社会的事実、強固にして動かし難い言語の体系のみを必要とする。強固な言語の体系、それはシニファンとシニフィエの一義的な結びつきの体系、辞書という一冊の書物にほかならない。そのつど新たに更新される私は辞書に収められた各分類項目の間を、あるいはその語彙の間を自由に飛び移る。「犯罪者」は次の瞬間、既に別の名辞とともにある。私は語彙の総体を、すなわち選択肢の総体を気ままに渡り歩いているに過ぎない。さらに私はその選択肢を選択(=排除)すらしない。辞書とはすなわち侵すべからざる全体性(=有限性)なのである。意識における自己充足としての私とは、言語の審判の前で自己同一性という責任から解放されることで、再び言語という全体の中に連れ込まれ安息する「狂気」に憑かれた私のことである。
 冒頭にも触れたよう、古井由吉の作品の基底にも「狂気」が息づいている。既に翻訳不能となった杳子の「顔」は端的に「狂気」への入り口である。否、「狂気」こそが古井由吉の小説の主旋律であると述べてもよい。しかし、この狂気の息遣いは恐ろしいほどに静かであり、また、病として充足すること、病として杳子と同一化することの「淫ら(古井由吉)」さからは遥かにかけ離れている。あるいはそれは既に語のもっとも一般的な用法(辞書)における「狂気」ではない。狂気という語が喚起する荒々しさがそこでは欠如している。逆にこの「狂気」は熱狂という病を癒し静める「狂い」、微かなブレ、揺れとしての「狂い」と述べたほうがよいかもしれない。例えば『杳子』では、既にそのタイトルとして取り上げられた「杳子」という名前が暗示するごとく、日常の視線からは「杳として」その姿、風景をつかみきれなくなった感覚が微妙な空間の揺らぎと崩壊感を全編に渡ってつくりだす。

 

ひとつひとつのもののあまりにも鮮明な顕れに惹きつけられて、彼女の感覚は無数に分かれて冴えかえってしまって、漠とした全体の懐かしい感じをつかみとれない、自分自身のありかさえひとつに押さえきれない。(『杳子』)

 

ここでの杳子の状態は木村敏のいう「自我、時間、空間、事物などのすべてに通じての現実感の喪失」した状態、離人症ということができる。杳子は自分(自我)の中心をつかめなくなり、自らの身体的・精神的統一とともに、それが棲む世界の、あるいは彼女の対象となるべき世界の全体性、その日常的な調和を失ってしまう。木村敏はこのような精神の病の基底に共通する磁場として時間を見いだした。氏は分裂病、鬱病、躁病の各々の特徴を考察する過程において、分裂病をアンテ・フェストゥム(前夜祭的)意識、鬱病をポスト・フェストゥム(祭りのあと)意識、そして躁病をイントラ・フェストゥム(祭りのさなか)意識として類型化する(木村敏『時間と自己』)。それは人間の精神の病、日常(正常)に対する狂気(異常)が「祝祭(フェストゥム)」によって表現されることの発見である。フェストゥムを内包する病、古井由吉の視線は常にこの祭りに注意深く向けられいる。と同時に、その視線は祭りの中の熱狂によりもむしろ、祭りのさなかの空虚へとより注意深くさし向けられている。

 

踊りの輪全体を浸す静かな酔いのなかに、私の酔いだけが油のように馴染まずに浮かんだ。そしてふたたび単調な笛の音に合わせて、顔の上で闇を織っているうちに、私は踊りの陶酔の中へおのれを失って広がっていく心を夢見ながら、自分一人のものでしかない酔いの中に封じ込められて、だんだんに気が遠くなっていった。(古井由吉『不眠の祭り』)

私は息苦しさのあまりその手をはらいのけて顔を上げた。暖かく顫える暗闇が生臭い喘ぎが私をつつんでいた。そしてその時、遠くから地を這ってさしこんできた光の中で、私は鬼面のように額に縦皺を寄せた見も知らぬ女たちの顔と顔が、私の頭のすぐ上に円く集まっているのを見た。空一面に広がって落ちてきた雪崩が、今でははっきりと一塊の存在となって、キューンと音を立てて、私たちめがけて襲いっかかってきた。私をつつんで、女たちの体がぎゅうっと締まった。その時、私の上で、血のような叫びが起こった。
「直撃を受けたら、この子を中にいれて、皆一緒に死にましょう」
そして「皆一緒に・・・・・、死にましょう」とつぎつぎに声が答えて嗚咽に変わってゆき円陣全体が私を中心にしてうっとりと揺れ動きはじめた。(古井由吉『円陣を組む女たち』)

 

祝祭は女たちの声をひとつの運動に、そして一人ひとりを一個の全体、群れへとつくりかえていく。祝祭の時間の中で言葉は自意識という枠組みを逸脱して機能する。それはもはやコミュニケーションの道具という役割から完全に逸脱している。太鼓のリズム、笛の音に呼応して言葉はそれが今までその座を占め、それによって言語たりえてきた意味の体系を溶解していく。シニファンとシニフィエの一義的かつ強固な結びつきによって編纂される辞書からの逸脱。

 

或る土曜の夕方、私は勤め帰りの同類たちの流れに棹さしてターミナルの地下道までやって来て、雑踏の真ん中にできた人だかりに足を止められた。
(・・・中略・・・)
中では、よそ行きの髪をきれいに結った主婦たちがヘルメットを阿弥陀にかぶった喧嘩をしていた、いや、たいそう興奮した様子で議論をかわしていた。耳を澄ますと、議論はとうに感情の切れはしの放り投げあいの段階に入っているらしく、どちらをどちらのものにしても大して差障りのなさそうなヒューマニスティックな紋切り型が脈絡もなく飛びかっていた。
(・・・中略・・・)
それだけ聞いていると、まるで意見の相違はどこにもなく、双方の議論が不本意な一致からどうしても飛び出しかねてキリキリ舞いしているかのようだった。ただよく耳を傾けると、学生たちの方は自分らが主婦を相手にこの程度のありきたりの議論からどうしてもはずれられないことに、明らかに苦さを味わっている様子で、ひとしきりまくし立てるたびに自分の滑稽さに思わすニヤニヤせずにいられないので、その分だけ威勢がそがれているようだった。(『円陣を組む女たち』)

 

不快な雑音として、連呼され響く政治的スローガン、このもはやクリシェと化して意味を失った言葉がいつしか私をして遠巻きにその声の中心に向かわせるがごとく、言葉は粘り着くことで、あたかもそれ自身が有機体のごとく運動をはじめる。コミュニケーションの道具という役割を逸脱した言葉は「人格を通り越して情念の深層に働きかける呪術」(古井由吉「言葉の呪術」)として機能する。祝祭の中で祝詞が発せられるとき、それが神秘的であること、理解を越えていること、その詞の言霊とでもいうべきものの方が祭りの輪にとっては重要なのであり、それこそが祭りを形成するのである。だが、この祭りは「祝祭」というほどには狂おしく荒れ狂うことがない。それはどこかで常にはぐらかされる。踊りの輪の陶酔は、ついに「私」の酔いを共に連れ去ることはなく、空襲のさなかに円陣の中心に生贄のごとく差し出された「私」は女たちのエロティックな高揚とは裏腹に、あっけなく戦後に生き延びてしまうことだろう。そして三十を過ぎ、妻子持ちとなった「私」は、再び女たち(主婦)の円陣に出くわし、今度はそれを遠巻きから眺める。さらに、その主婦を相手に議論する学生たちは既にその熱狂を自身の滑稽さの自覚に変換してしまっている。私はフェストゥムの中心に渦巻く熱狂から常に空虚に、滑稽にはぐらかされる。

 

この夜、凶なきかな。日の暮れに鳥の叫ぶ、数声殷きあり。深更に魘さるるか。あやふきことあるか。
独り言がほのかにも韻文がかった日には、それこそ用心したほうがよい。降り降った世でも、あれは呪や縛やの方面を含むものらしい。相手は尋常の者と限らぬとか。そんなものにあずかる了見もない徒だろうと、仮りにも呪文めいたものを口に唱えれば、応答はなくても、身が身から離れる。人は言葉から漸次、狂うおそれはある。(古井由吉『眉雨』)

 

言霊はひとつひとつの語に宿る。あるいは節に、文に潜む。例えば五・七調の心地よさとその呪縛に。「独り言がほのかにも韻文がかった日には、それこそ用心したほうがよい」、このとき韻文は既に独り言を越え出ている。俳諧や詩の形式は述定化された規則というよりはむしろ前述定的、原意味的な言葉にに潜む、いわば共同体のリズムとでもいうべきものではないか。古井由吉はこの共同体の形式、呪術を何気ない日常の風景、所作の中に見出す。

 

それにしても姿勢というものは奇妙なものだ、と寿夫は思った。はじめは形だけなのに、おいおいにふさわしい気持ちを内側に吹きこんでくる。あるいは、年寄りの前でうなだれる若者の姿勢というものは、大昔から幾代にも送り伝えられて来たもので、寿夫個人の年齢とか境遇とか物の考えとか、その程度の違いは押し流してしまう力を持っているのかもしれない。(古井由吉『妻隠』)

 

ここでは〈姿勢〉は〈気持ち〉に先立つ。こころ持ちによって姿勢が正されるのではない。換言すれば、形式は意味内容に先行する。時間の堆積という根拠(=歴史)に支えられた力はひとりの人間(=個人)を存立させる属性(年齢や境遇、物の考え方)を凌駕する。
 小田切秀雄の指摘した「内向の世代」を特徴づける「自我と個人的な状況の中だけに自己の作品の真実の手ごたえを求める」とされるその傾向(内向=「気持ち」=「私」)はむしろ逆説的に現実としての外界(=姿勢)、社会を経ずには形成されえない。
 古井由吉の作品に内在する「政治」性を指摘し、「内向の世代」と銘打たれたその作品の外界へのコミットメントを評価することで「〈内面への道〉とはいわば〈外界への道〉にほかならないのである」と述べた柄谷行人の批評の焦点は、まさにこの形式(姿勢=外面)の内面(気持ち)に対する先行性にある。内面(気持ち)とは告白という制度(姿勢)によって確立される結果であって、この制度に先立つ内面など存在しない。その意味では制度(告白)に依拠しない個人=内面=秘密などあり得ない。

 

告白という形式、あるいは告白という制度が、告白されるべき内面、あるいは「真の自己」なるものを産出するのだ。問題は何をいかにして告白するかではなく、この告白という制度そのものにある。隠すべきことがあって告白するのではない。告白するという義務が、隠すべきことを、あるいは「内面」を作り出すのである。(柄谷行人『日本近代文学の起源』)

 

だが、古井由吉の視線は「〈内面への道〉とはいわば〈外界への道〉にほかならないのである」ことを端的にトレースするものではない。むしろ氏の文体は二つの張りつめた極の「あいだ」そのものがつくりだす緊張、あるいはその不自由さであるといえる。ここで言う二つの極とは、とりもなおさず〈姿勢〉=外界と〈気持〉=内面のことである。
 氏にとってこれらの二極(〈姿勢〉と〈気持ち〉)はいずれかに収斂するのでもなければ、対立を構築するものでもない。内面と外界はクラインの壺やメビウスの輪よろしく、レトリカルに接合されものではない。いや、そもそもこれら二極は位置(距離)関係を構成しない、というべきかもしれない。そうであるがゆえにこの緊張感が弛緩した瞬間、「内面」(=気持ち)と「外界」(=姿勢)の関係は氏の視線にとって、「淫ら」と映る。

 

こうして蒼白くにこやかに生きるのが人間的な分別というものだ。にもかかわらず、このようにおのれを守って生きているということが、私には淫らなことに思えてならなかった。(古井由吉『先導獣の話』)

住まい全体の大ざっぱな造りに比べて、ここ(風呂場)だけはじつに細かい神経が行き届いていて、何か淫らな感じだった。
あの時、彼はたしかに柄にもなく《淫ら》という感じを受けた。その前に二人が暮らしていたアパートには、もちろん風呂などなかった。はじめ礼子は銭湯に行くのを厭がった。(中略)銭湯から戻ってきた礼子の躯を、すぐに抱き寄せることもあった。すると素肌から銭湯のにおいが、薬湯のにおいとも大勢の汗のにおいともつかぬものが、ほのかに立ち昇ってくるような気がした。だがそれは二人の交わりの密やかさを少しも乱さなかった。淫らなものは何もなかった。
 それにひきかえこの風呂場は、《バストイレつき》のバスのように清潔で合理的で、その分だけ淫らなものがある、と彼はあのとき思ったものだ。(『妻隠』)

 

「淫ら」、それたんに感覚や感想の問題ではない。清潔で合理的なところを淫らと捉えるその視線はあまりに人間的な、類の歴史(姿勢)と個(気持ち)の閉ざされた回路に充足しようとするその腰の落ち着き(分別)に対して向けられる。自意識の背後には常に無意識が控えている。古井由吉のいう「淫ら」とはこの無意識を隠蔽する自意識の作為である。小田切秀雄に倣えば、ここにこそ「自我と個人的状況の中にだけ自己」を充足させる内向性が潜んでいるといえる。
 「銭湯」というむき出しの躯体が晒される祝祭の空間が明け透けならばまだいい。そこには二人の交わりの密やかさ、という祝祭を清潔という名辞のもとに隠蔽しようという作為は働かない。しかし清潔と合理性の後に交わる二人の間には「自分のものでしかない酔い」が広がっていく。祝祭はその熱狂をいつしかぬったりとまとわりつく湿度へとその温度を下げながら、くすぶりへと落ち着くなかで空虚を露呈する。病に苦しむものは、例えばそれが離人症という病名で理解され、翻訳されることの、当のその概念に苦しみの根拠を持っているのではない。杳子を苦しませるものは彼女の視線が否応なしに捉えてしまう、属性の欠落であり、風景の崩壊なのである。そしてこの風景の崩壊こそが古井由吉の文体の原風景なのである。それは意識に充足するのでもなければ無意識に回帰することもできない。
 「人は言葉から、漸次狂うおそれはある」(『眉雨』)、この一文は極めて両義的である。狂気は確かに言語(無意識)の領域である。その意味で人の狂いは常に言葉から始まる。だがその一方で、人は独り言(言葉)に導かれ、独り言の中で「身が身から離されるとき」、残された当のその身における、いわば身の対象性の欠落(身の置き場のなさ)、属性の欠落によるそのままの「もの」の現出、「もの」のあからさまな直接性によって、狂うのではないか。

 

「近くから見つめたから、わからなくなったのよ。字がただの字になってしまって、三つの字をまとめて名前を読み取るのは、容易なことじゃなかったわ。おまけにやっと読み取ったら、響きが違うじゃないの。あたし、家を出てから道々くりかえしその名前を口の中で唱えてきたのよ。あなたがこの前言った名前を」(『杳子』)

 

既に「字」は杳子の理解を逸脱している。それは谷底に一人で座る杳子の顔と同質の「もの」としてその視線に捉えられる。もはやそれは言葉であるにもかかわらず意味を構成することも、他者に伝播することもない。書きつけられた言葉=字は、今や〈しるし〉ですらない。そうでないかわりに露骨にその「もの」としての直接性を顕にする。すなわち「漠とした全体の懐かしい感じ」をつかみとることができないのだ。
 しかし、ここまで病的な描写を背負わされる杳子は、なお「病人」ではない。氏の視線はそれを「病」という意味で解釈することを徹底的に拒絶する。

 

「病気の中に坐り込んでしまいたくないのよ。あたしはいつも境目にいて、薄い膜みたいなの。薄い膜みたいに顫えて、それで生きていることを感じてるの。
「病気の中にうずくまりこむのも、健康になって病気のことを忘れるのも、どちらも同じことよ。あたしは厭よ」(『杳子』)

とんだ季節はずれに甦ってきたこの病癖に、むきになって逆らうのも何となく恥ずかしく思えて、私は眠るための足掻きを一切しなかった。(古井由吉『不眠の祭り』)

 

古井由吉は祝祭(=狂気)を自身の小説の基底に確かな流れとして引き込みながら、しかし、それをあからさまに拒否する。病や狂気の物語、すなわち「健康の回復」は無視される。杳子にとって病院に行って健康になるとは、「まわりの人を安心させる」ということであって個人的な心身の回復の問題ではない。つまり健康という概念は病や狂気の対概念としてそれらと相互補完的に捉えられることから拒絶されている。もはや「病」は治療の対象ではない。狂気という無意識の領域と、健康という意識の領域はついにその親密な関係(相互補完)、「淫ら」を砕破される。このとき古井由吉の作品を精神分析学の系譜の上に配置してみることには、もはやいかなる積極的な意味合いをも見出すことはできないであろう。この狂気は既に病ではない。三島由紀夫が太宰治をして述べたように「治りたがらない病人は病人ではない」という意味において、氏の小説のどこにも狂気はその居場所を確保しえなくなる。いわゆる狂気が意識からの逸脱という表現であるとすれば、古井由吉の文体はまさにそのことを物語として意味構成し、解釈可能にするという治療(精神分析学)=「文学」を無効化する。
 「あたしはいつも境目にいて、薄い膜みたいなの」、境目、それは意識 無意識、類 個というシェーマの埒外にある。それは病(狂気)と健康の境目であり、同時に自意識と無意識の境目としての緊張である。そして換言すると、この境目こそは「不眠」である。
 古井由吉の小説が病を抱え込むと同時に、それが不眠症を抱える人物として存在することを想起しよう。

 

こうしても暮らしていける、暮らしていくよりほかない。私はちょうど老練でシニックな患者が自分の病苦に対する時のように、不眠に苦しむ自分を冷ややかに眺めて、時の過ぎるのを待った。(『不眠の祭り』)

その思いが浮かぶやいなや、私の頭にはあの気味の悪い木目が、その淫らな流れと悶えが奇妙に鮮やかに浮かび上がってきて、私を不眠の予感で怯やかすのだ。(古井由吉『木曜日に』)

 

不眠とは意識でもなければ無意識でもない。それは一方で自己と世界との折合いをつけることに対する無意識による解決、つまり「病(狂気)」を無効化する磁場であり、他方、意識と世界との和解としての自殺が禁止された永遠の覚醒状態である。私は意識的にこの不眠という状態に終止符を打つ術を封じられ、それがいつ終わるのか、いつ眠りにつけるともないその絶望感に苦しむのである。あるいは、私の視線の向う先に、ついに確固とした対象を見出すことのできないまま彷徨い続けることの苦痛である。意識と無意識は相互補完的に「私」という現象を表現する、いわば二つの極である。それはあるとき個として、作家としての「私」を表現している。また別のとき、それは「私」を類として、言語として代表する。すなわち、それは〈姿勢〉と〈気持ち〉の別の謂である。観察者の目指した目標物が自意識なのか無意識なのか、その意図の違いによって、現在、両者のどちらがより優位な状態を占有するか、その振れ幅のうちにおける優位性によって構造と主体は優劣を決せられる。それは眠りと目覚めの関係と相似である。目覚めは常に新しい眠りに向かって目覚めているのであり、眠りは常に次の目覚めを担保している。眠り(無意識)のない目覚めがないのと同様に、目覚め(意識)を前提としない眠りもあり得ない。完全な目覚めもなければ、完璧な眠りもない。それは同時に、「病」と「健康」の関係を代弁する。意識とは眠りに入ることができるということ、常に眠りとともにあることにおいて意識たりうる。私は完全に目覚めていると信念することはできても、私自身がその目覚めの純粋さを証明することはできない。さらに、私は当のその時に完全な睡眠状態にあると誰に告げることができるであろうか。私の完璧な眠りについてのアリバイ、存在証明を証言する他者はどこにも見つからない。すなわち両者は常に互いを映し出す合わせ鏡のように、相互補完的に振る舞うよりほか、自身を証明する術を持たないのである。そして意識の永遠の眠りへの逃走が、自殺であることはいうまでもない。
 しかし、古井由吉においては既に自殺は禁止されている。「病」が「健康」を志向しないかぎり、もはや氏のテクストは意識にも無意識にも還元されることはない。
 古井由吉はエッセイ「さて八十年代」で次のごとく「七十年代」をかえりみた。

 

さて八十年代とやら。十年前には何を考えたか、何を予想したか。変動の時代とか、変革の時代とか、熱っぽい言葉が飛びかったものだ。滅亡への道を、汝ら悔いあらためよとばかりに、悲壮らしく告知した声もあった。わずかその二、三年後にオイルショックが起こり、ストアの洗剤の前で、主婦たちが、お宅の奥方も、長い行列をつくっていた。現実の露骨さほど予測のつきにくいものはない。(古井由吉「さて八十年代」)

 

「十年前」には全共闘があり、主婦たちの円陣が洗剤を取り囲んで形成された。そして七十年には三島由紀夫の事件があった。「変動」、「変革」、「熱っぽい言葉」が、デュオニソス的な衝動を憑き起こす時代を見つめた氏の視線が「方法的懐疑」として三島事件を「自殺の禁止」=「不眠」として捉えたとしてもおかしくはない。実際、同時代人柄谷行人は三島事件を希薄化する「〈現実感〉の希求」であったと捉えることで、「十年前」の時代的要請を「われわれのなすべきことは、現実を回復する道を自らの〈方法的懐疑〉によって切りひらくことである」(「内面への道と外界への道」)と述べた。 自殺の禁止、それはこのときまったく倫理的な問題ではない。それは端的に文学的方法の禁止である。この自殺という方法の不可能性によって作家は逆説的に不条理に引き込まれる。
 不条理の不条理たる所以、それは運命がついに自己を超越していることの認識、運命による私の支配である。例えばそれは〈気持ち〉に先立つ〈姿勢〉のことである。この不条理の中で、自殺の可能性は私が私として運命に勝利する唯一の方法である。運命的な自殺というものはあり得ない。また、運命に敗北したことによる自殺もない。自殺とは運命に対抗し、勝利する唯一の術である。古井由吉はこの自殺という文学的な方法の終焉から出発する。そしておそらく方法としてのこの「自殺の禁止」は「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンのないことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」と述べる「僕」(村上春樹『風の歌を聴け』)によって確かに引き継がれる。つまり、古井由吉以降、もはや作家は自身の不条理から逃れる術をもたない。そしてこの不条理をそのまま上演することは既に小説ではない。「放って置いても人は死ぬし、女と寝る」のだから。
 「自殺の禁止」=不眠は既に対象を失っている。視線はそれ自身の向かうべき方向を喪失しているのである。この永遠の覚醒状態は杳子の離人症という病ではない。不眠とは離人症の杳子の冴えかえってしまった感覚、その視線が捉えた風景の崩壊という逆説である。風景は視線によって見出される。それは単純に「見える」という受動的な機能によって与えられた網膜上に結ばれる写像ではない。風景とは自覚的であれ無自覚的であれ、何らかの意図に則って、意識的に見出されることを要請する。すなわち作為的に構成されるかたち、ゲシュタルトである。
 一方、視線とは既にそれが属する特定の文化的性質によって条件付けされている。それは意識と無意識の関係に似ている。視線とは文化に固有の知覚図式(A・ベルク)なのであり、渾沌(=崩壊)を調和(=意味体系)へと構成する。知覚は既に解釈(=言葉)の過程を含む。それゆえ、風景とは単に見えるということではなく、解釈可能な意味体系に位置づけられる一つの纏まりとして見いだされなければならない。
 しかし杳子の視線はもはや「漠とした全体の懐かしい感じ」、すなわち風景を構成することができない。その視線はそれ自体が既に視線の崩壊として機能する。つまり風景を対象へと構築し、その結果を見いだすべき視線という機能が、当の機能の不全により対象を構築することのできない視線として宙吊りにされ、対象の不在を露呈する視線として杳子を困惑させることになる。このとき視線はもはや視線ではない。つまり作為的な意図(=意識)でもなければ文化に固有の知覚図式(=制度)でもない。杳子の感覚は冴えかえった分だけその視線からものの属性をそぎ落としてしまっている。冴えかえった感覚は対象としてのもの(=属性=風景)を逸脱して赤裸々な「もの」を捕捉する。不眠とは、本来「もの」に付着しているべきはずの属性、あるいは対象性の欠落である。それは表現の不可能性、根本的な小説の否定と同義である。書くべき対象の不在、それが不眠である。古井由吉の視線は常にこの対象の不在と向きあう、という矛盾を孕んでいる。
 ここまで古井由吉の視線の崩壊の様子を辿ってきた。視線の崩壊とは「三島事件」以降、文学(表現)が抱え込んでしまった状況そのものであり、それは同時に二十世紀最大の発見の一つである無意識が作家という意識と共謀してきた「淫ら」さを「不眠」へと突き返すことである。意識としての作家の死、として捉えかえすことのできるこの様子は、表現の不可能性と同時に「健康の回復」という意味での物語がもはや不能であることの謂である。
 蓮實重彦は『小説から遠く離れて』で、フォルマリズム的手法、説話論的な還元を「方法的懐疑」として用いることで、井上ひさし、村上春樹らをはじめとする小説(物語)のフォルム(形式)の相同性を指摘した。

 

あらかじめ諜しあわせていたわけではなかろうし、ましてや模倣への意志が等しく彼らの筆をつき動かしていたとも思えないのに、資質も違えば方法意識も異なる何人もの作家たちが、いつとはなしに同じ物語を語り始めている。作品の風土はまるで似たところがないのに、かなりの数の小説が同じ物語的な構造におさまってしまうのだ。今、われわれのまわりで書きつがれつつある長編の多くは、見たところ何の共通点も持たない発想から出発しながらも、作中人物が演じつつある物語的な機能や、果たすべき行為の形態という点で多くの細部を共有し、まるで一つの物語を多様に変奏しあっているように見える。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)

 

いくつかのフォルムについて、氏は異なる作家の手による小説の物語的共通性を指摘する。ただし、結論を先回りしていえば、ある意味で蓮實重彦のこの指摘、「まるで一つの物語を多様に変奏しあっている」とは、ただ当たり前のことを述べたに過ぎない。たとえば〈宝探し〉というフォルムについて、氏自身がその方法を「テクストに説話論的な還元を施し、そこに〈宝探し〉という物語の典型的な形式を指摘する姿勢」と述べるよう、それは物語として当然の帰結としてそこの持ち込まれるべきフォルムを氏が対象とした小説の中にあらためて見いだしているに過ぎないからだ。そして、ここで〈宝探し〉というフォルムとして取り出された共通項は物語一般において、物語それ自体を前へと推し進めていくことの力の起源、推進力としての「秘密」であるといえる。あるいはこの秘密こそが物語そのものであると述べてもよい。蓮實重彦は「小説は物語の伝承装置ではなく解読装置である」、と述べる。 

 

物語のように、あるいは物語に従って小説が書かれるのではない。もしそうであるなら、小説は、たんなる物語の伝承装置でしかないだろう。そうではなく、小説という素姓に卑しいジャンルだけが、その起源を欠いた血統のいかがわしさ故に、物語の解読装置となって、物語から無限の継承という属性を奪い、その真実のみを再生せしめるのである。(『小説から遠く離れて』)

 

解読されるべき物語とは〈宝探し〉であり、換言するとそれは、告白すべき「秘密」である。物語は制度として必然的にこの秘密を産み落とす。あるいは秘密によって憑き動かされる言葉の羅列が物語なのである。そして、小説という制度が物語を解読する装置として機能するとき、そこには必然的にこの秘密が孕まれることとなる。
 小説が告白すべき秘密を必然的に孕むとき、私小説とは字義どおりその解読されるべき物語が作家としての「私」であることにほかならない。小林秀雄は『私小説論』のなかで「自分の正直な告白を小説体に綴ったのが私小説だといえば、いかにも苦もないことで、小説の幼年時代には、作者はみなこの方法をとったと一見考えられるが、」と述べているが、事実、私小説の方法が確立された今となっては、見かけの上で、私小説の体裁を整えることは造作もないことである。それはただ、秘密としての「私」=「作家」があらかじめ、隠されているという事実認識の共有の有無にのみ関わってくるといってよい。私小説における「私」、つまり作中の「私」が、作家という当のその本人と等身大では私小説は成立しない。「私」がたんに明け透けなだけではいけない。「私」が既に十全な私として読者に引き渡されているとき、もはやそこには秘密は存在しえない。「私」が隠されていることにおいて明け透けになること、「私」は隠されている、という事実こそが私小説にとっては必要不可欠なのである。あるいはその隠し立ての手だてこそが私小説である。換言すれば、「それは私ではない=(マダム・ボヴァリイは私だ)」ということにほかならない。作家は「私」を鏡に投映し、それを観察する。そして、対象としての私を再び構成するのである。ある意味でそれは湖面に映し出された自己の姿に耽溺するナルキッソスの振る舞いと同じであり、またJ・ラカンのいう「鏡像段階」において、幼児が鏡に映し出された自己の分断された身体を通して自身の身体をイメージとして獲得していく過程とその実を同じくしていると述べてもよい。そこでは「視る私」と「視られる私=対象」との同一性は破綻している。すなわち「私」とは「社会化した私」(小林秀雄)であり、既に、当の作家によって研究されるべき「対象」としての私なのである。物語は必然的に秘密を孕む。そして私小説の秘密が「私」であるとき、作家の視線が行き着く先とは、解読されるべき「対象」としての「私」という存在なのである。 松浦寿輝は古井由吉の『白髪の唄』について次のように述べた。

 

だが、作者と等身大であるとおぼしい「私」が登場し、それを取り巻く何人かの人物との間の四季折々の交流がゆるやかに綴られてゆく『白髪の唄』を、はたして「伝統的」な小説と呼べるだろうか。小説の地平を統ているのは、われわれ皆の人生と同様に単調に続く「私」の日常であり、そこのは事件と呼べるほどの事件は何も起こらない。(・・・中略・・・)端正このうえもない文章のたたずまいの背後に、何か途方もない暴力へと滑り落ちてゆきかねない切迫した狂気の芽が胚胎されているかのようだ。
 こんな異様な小説世界は、たぶん古今東西の世界文学には例を見ないものである。日本独自の文学現象としての「私小説」とりわけ葛西善蔵や嘉村磯多のそれのある側面を思いっきり畸形化させたところに生まれた、ほとんど怪物的なテクストというべきものかもしれない。

 

氏が指摘するように、古井由吉の多くの作品は作者と等身大であるとおぼしき「私」が登場する。また、等身大ではないまでも、作品を構成する生活の場所や物語の場所としての「山」など、多くが古井由吉自身のプライベートな体験や経験が投影されていることは想像に難くない。その意味で氏が指摘する私小説性は古井由吉の小説の基調として位置づけることができる(しかし、ここでは、松浦寿輝の指摘にある葛西善蔵や嘉村磯多の作品との比較におけるその共通性や変形の度合いをはかることの余裕はない)。同時に、松浦寿輝がその私小説性を指摘する一方で、同じテクストを「怪物的なテクスト」と表現する背景には氏の論調を逆説的に辿ることになるが、これまでみてきたよう、古井由吉のテクストが「狂気(=視線の崩壊、対象の不在)」をこそ、その出自に配置していること、そしてその狂気の胚胎が一見して「日本独自の文学現象」としての「私小説」性を有していることによる。結論を先回りすると、古井由吉の私小説には対象としての「私」が欠如している。
 フォルマリズム的視点から眺めると、古井由吉の『槿』と松浦寿輝の『巴』にはその内容的な隔たりにもかかわらず、多くの共通点があるように思われる。『槿』はその全編を杉尾の幼少時代の記憶に導かれた次のような粘りの感覚に覆われ、夢と現の境界線上を言葉が往来することの緊張に支えられた畸譚とでもいうべき小説である。

 

しかし四十を越した杉尾の眉間の奥に、ある日、あの朝鼻を近づけて嗅いだわけでもない花弁の、色に似合わず青く粘る臭気がひろがった。たちまち身の内に満ちるとやがて草も露も、炊立ての飯も、汁も、浅漬けも、そして人の肌までも同じ青く粘る精に染まった。粘りながらやはりどこか線香の鋭さをふくんでいた。暗い糞壺の底にほの白く蠢き湧き返っていた、蛆どもの生命まで、思い浮かべていた。あの朝、十歳の小児が露に濡れて、自分は生き存えられないような体感を抱えこんで股間には重苦しい力を溜めていた。(古井由吉『槿』)

 

この粘りは「眠っていて犯されて、あとで誰だかはっきりしない」(『槿』)井出伊子や萱島國子の性の妄想へと、まさに粘り着いていく。
 一方、松浦寿輝の『巴』はそのハードカバーの帯に「形而上学的推理小説」と記された。この、一読して趣味の違う二つの小説は、しかし、読後の「感想」、後味に共通のにおい、雰囲気を漂わさせる。
 主人公とおぼしき男が本人の意志とは極端にかけ離れたきっかけで唐突にに事件に巻き込まれる様。しかも、この事件は〈性〉を巡る事件であり、かつこの〈性〉には主に二人の女性が関係していること。あるいは、事件を本人に接合する人物がしばらく絶えて交流のなかった友人であること。そしてこの友人がおそらく事件の解決には本質的に何ら役には立たないこと。また、結局のところこの女性達は事件の本質的な核心には何ら主体的なかかわりを持ちえないこと。そして、当の事件の真相が薄膜隔てた向こう側にいて、はっきりとは見定めることのできないこと。つまり、「推理小説」と冠された、『巴』ですら、謎解きそれ自体は十全には行われず、いわば「雰囲気=(形而上学)」で作品を終えること等々、その登場人物の形式的な配置、事件の発生とその核心、更にこういってよければ、「素人探偵の宝探し」(蓮實重彦)という点において両者は共通している。そのなかで、唯一、この両者に違いがあるとすれば(しかもそれは決定的な違いである)、それは両者の小説を構成する各々の時間的構造の付置の差異に関してである。
 和田勉は『槿』における萱島國子を支配する時間を「過去から現在を通って未来へ流れるのではなく、よどんだまま過去に遡るという独特の構造になっている」と指摘する。このとき肝心なのは、國子の時間が特別、過去において支配され、現在が過去化されるということではない。そうではなくて杉尾の現在がおよそ、萱島や井出という事件に左右されないということである。確かに、言葉上『槿』において「事件」と表現されているのは國子の過去(兄のこと)である。しかしなお、『槿』における現在的な事件とこと杉尾の視点に立つかぎり、「不倫」であることには何の疑いもない。しかも男は同時に二人の女性との関係にあるにもかかわらず、それが妻子のある男(杉尾)の日常にいささかの影響も与えないとすれば、そこからは事件の現在性がすっぽりとそぎ落とされている、というほかあるまい。それはいまや、事件でありながら既に事件ではない。何故なら、そこにはこの事件について解き明かそうという意志は微塵も働かない。また、それは、國子の過去に対する彼女自身の態度についても同様である。過去の性的体験の相手が杉尾とのことであったと思い込みたい國子は、しかし、思い込みたいのであって、事実を追及するのではない。
 この『槿』の現在性の欠落に対して、『巴』の事件はあくまでも主人公の現在を侵食していく。事件が男の生活を脅かし、破壊していく。あるいはそのことに男は怯えかつ立向かう。『巴』が「推理小説」であるか否か、という「推理小説」の定義にかかわる議論はさておくとして、一般的な意味において推理小説と見なされる根拠は、謎を伴った事件が小説の時間の現在へ積極的な介入をはたらくという点にある。この点において、『巴』は確かに現在において推理すべき謎を抱え込む「推理小説」であるといえよう。逆説的ではあるが、事件性の大小(不倫と殺人)にかかわらず『槿』の事件が杉尾の日常に侵食し、かつそこに解決への意志が働くとき、この二つの小説はあからさまに「一つの物語を多様に変奏しあう」こととなるはずである。
 事件とは、換言すると、解読すべき物語であり、それはまさに秘密の核=謎である。この秘密が誰かにとって「解読すべき物語」としてそこに解読への意志が表明されるとき、おそらくそれを「推理小説」と称し、そこでの解読すべき謎が「私」であるとき、それを「私小説」と称する根拠が発生する。松浦寿輝は『白髪の唄』を「怪物的なテクスト」の「私小説」であると述べた。しかし、古井由吉においては「私小説」が秘密を孕むことを拒否する。それは先にみた『槿』において、事件の現在性がことごとく欠落している様と同じである。
 『白髪の唄』に収められた「鮨の香り」には大小取り混ぜさまざまな「事件」が織込まれている。「鮨なんてものを通夜に出すのは、どういうことなんでしょうか。いつから始まったことなんです」という問い=謎、解き明かすべき秘密、事件は、結局、最後まで追及されぬまま、話半ばに宙吊りにされる。いや、問いが発せられたまさにその時、この問いに答えようとする意志はかき消されてしまう。あるいは、作者自身とおぼしき入院患者に歳を問われた山越が応えることばのなかに出てくるいくつもの大事故、鶴見事故・三池炭鉱のガス爆発・三河島事故・旅客機の墜落事故は山越の家族の生年、没年を記憶するメルクマールでこそあれ、それぞれの事故が各々の生死に直接関わることは一切ない。また、作者自身の入院すらほとんど事件ではない。その意味で「私」という秘密はここには存在しない。むしろ入院生活において注視せねばならない事件(その意味で主題化され、解決を強いられる事件)とは不眠である。

 

ようやく差してきた睡気にいきなり去られると、手術直後と同じ拘禁の反応か、息苦しさが降りてくる。不眠が痼らぬうちに気を変えようと、ベッドの囲いに片手ですがって不自由な身体をそろそろと引き起こすうちに、暗がりの中で重心が感じ取れなくなり、思わず一生懸命のようになる(古井由吉「鮨の香り」)

 

「鮨の香り」に「私」という秘密は存在しない。そのかわり、作家古井由吉は「方法的懐疑」としての不眠を作家の態度決定として宣言する。
 柄谷行人は『探求II』の冒頭で次のように述べた。以降、氏の著作のもう一つの課題を小林秀雄の『私小説論』以後、として解読することは、あながち的外れではあるまい。『探求II』以降の柄谷行人の著作そのものが「私小説」なのである。さらに、小林秀雄、柄谷行人と引き継がれた私小説論は古井由吉の『仮往生伝試文』のなかで小林秀雄の予言どおり「かたちをかえて」登場してきたといえる。『仮往生伝試文』において私小説はまさに試文として試みられる。

 

私は十代に哲学的な書物を読みはじめたころから、いつもそこに「この私」が抜けていると感じてきた。哲学的言説においては、きまって「私」一般を論じている。それを主観といっても実存といっても人間存在といっても同じことだ。それらは万人に当てはまることに過ぎない。「この私」はそこから抜けおちている。私が哲学になじめなかった、またはいつも異和を感じてきた理由はそこにあった。(柄谷行人『探求II』)

 

竹田青嗣は『現代批評の遠近法』において次のように述べている。ここで氏が「ポストモダンの思想」と呼んでいるものが、具体的には柄谷行人のことを指していることはいうまでもない。

 

ポストモダン思想の核心は「外部」ということばがよく象徴している。その本質はどこか見えない所に、けっして名付けえない「外部」、「至高なもの」(=超越)が存在するはずだ、という思考にある。(竹田青嗣『現代批評の遠近法』)

 

柄谷行人のいう「この私」とは端的に氏自身である、といってよい。それはあるとき「実際に、デカルトはオランダに亡命して考えている」(『探求II』)というときのデカルトであり、あるいはロンドンで『資本論』を書くユダヤ人、マルクスのことである。そこでは、「デカルト的な懐疑とデカルト主義一般は区別」(『探求II』)される。ここで言う「デカルト的な懐疑」が個別性として、あるいは固有名として、また「顔」(レヴィナス)として、更に「外部」として概念化されることは周知の通りである。そして、これらは決して「至高なも」のでもなければ、「名付けえない外部」でもない。否、むしろそれは「名づけ」ることそれ自体である。デカルトも、マルクスも何ら「超越」ではない。ただ、「デカルト」という語が、一気にしてにすべてを表現するだけのことである。あるいは翻訳の不可能性という意味で、それは谷底にひとりで座る杳子の顔と同じ位相にある。また、代替不能(「デカルトはオランダに亡命して考えている」)という意味で、唯一無二であることが端的に「デカルト」であることなのだ。そして、小林秀雄が「この陶酔のなかったところにこの文学運動の意義があった筈はない」と述べるときに指しているのは、時間的配置の転倒があるにせよ、柄谷行人のいう「デカルト主義一般」である。

 

思想が各作家の独特な解釈を許さぬ絶対的な相を帯びていた時、そして実はこれこそ社会化した思想の本来の姿なのだが、新興文学者等はその斬新な姿に酔わざるを得なかった。当然批評の活動は作品を凌いで、創作活動の座に坐った。この時ほど作家達が思想に頼り、理論を信じて制作しようと努めた事は無かったが、またこの時ほど作家達が己の肉体を無視したこともなかった彼らは、思想の内面化や肉体化を忘れたのではない。内面化したり肉体化するにはあんまり非情に過ぎる思想の姿に酔ったのであって、この陶酔の無かったところにこの文学運動の意義があった筈はない。(小林秀雄『私小説論』)

 

古井由吉の「私小説」は小林秀雄のいう「陶酔」を経て、かつ「社会化した私」として方法論的に確立された私小説を更に、柄谷行人のいう「マルクス」、「デカルト的な懐疑」としての「デカルト」、哲学的な書物から抜けおちている「私」についての「私小説」として再構成される。
 松本浩治は『デリダ、感染する哲学』において時間の把持について次のように述べた。

 

フッサールによれば、「私」が過去把持し未来把持するものは、けっして実在的なものではないという。だがこれは驚く必要もない。というのは、仮にもしすべてが、実在的なものであるとしたらどうであろうか。もしそうなら、一度聴かれた音はいつまでも消えることなく響き続け、それは流れずに絶えず同じ強度で響き続けながら、「私」はこの瞬間から抜け出すことができず、永遠に現在しか体験できないことになってしまう。未来も過去もなく、記億も期待も知らないという奇妙な事態に我々は陥ることになってしまうだろう。これはあきらかに背理である。(松本浩治『デリダ、感染する哲学」)

 

『槿』において既にみたように、古井由吉の小説の時間は過去・現在・未来が時間軸にそって流れるというよりも、むしろ現在に過去や未来が流入して、その結果、当の現在が過去や未来に対して宙吊りにされる、あるいは留保されている、といえる。この意味では「〈私〉はこの瞬間から抜け出すことができず、永遠に現在しか体験できないことになってしまう」と述べる松本浩治の時間についての記述は古井由吉の小説を換言した様である。そして、この宙吊りにされた現在を方法としてもっとも端的に用いたものが『仮往生伝試文』においてとられた、説話と日記の併記という方法ではないか。
 「私」という秘密が、告白という制度によって作り出されることは先に触れた。そして一般的に、日記とはこの告白の一つの形態であることはいうまでもない。つまり、日記とは私小説の究極の形態のひとつである、ということができる。一方、『仮往生伝試文』の骨格を形成する説話は、たんに往生譚としての説話が収集されていることに終始するのではない。そこでは、古井由吉自身の読解の視線、解釈の様が、あたかも今ここで氏自身がその説話を読み込む様を目の当たりにしているかのごとく、構成される。つまり、『仮往生伝試文』は私=作家の実生活を時間的に同定する日記と、その生活のなかで実際に行為遂行中の説話の解読のストリーミングとしての時間進行、解読作業(視線)の現在性という二つの現在に封じ込められた時間共有の私小説ということができる。過去という意味で説話を導入し、「未だ来ず=(未来)」という意味で往生(=往生=死)譚に視線を向け、今を特定するために日記を用いた結果、すべてが現在に閉じこめられる。そこでは隠されるべき秘密を産み落とす道具立て(制度)が悉く排除されている。すべてが現在において共有されることで、すべてがあからさまに過ぎるのだ。「未だ来ず」という形の「死」は、「仮」の往生として、生(日常)の中にこそ、あたかも往生が存在するかのごとく死それ自身を喚起し、しかし、その視線は確実な対象として死を断言することはあり得ない。作家の視線が今ここで往生譚を解釈している以上、その死は決して作家のそれではなくこの解読作業をどこまで突き進めても、死が私自身の死として解読の結果にもたらされることはない。また、日記がその現在性を確保する以上、解釈の視線は日記の日付と同調しているという意味で、更に作家の現在性を確保することとなる。日記という究極の私小説の形態を用いながら、ここではいかなる作家の秘密=「私」も認められない。「私」の視線が現在に閉じこめられるということ、時間が永遠に現在に留まることの奇異。ここでは、終わりが無いという意味において、また始まりが無いという意味において文体そのものがもはや不眠なのである。
 古井由吉の文体は不眠を思考している。そのことは、対象の不在、意味するものと意味されるものの相関関係が破綻していることをいう。志向性の崩壊という文体。このことをもっとも端的に、方法として表現したのが『仮住生伝試文』である。
 「何かについて書く」というとき、私は言葉について、それが任意の対象(同時にそれは対象へ、とうい方向)、実在と常に強固に結びついていることを信じて疑わない。このとき言葉は客観(作品としての小説)を保証する。小説=言葉は何かについての再現という機能を十全に遂行する。しかし、再現とは意識と対象の明確な結びつき、透明(純粋)な表現への到達という幻想でしかない。シニファンとシニフィエの間には恣意性があるのみで、この両者の結びつきに何ら必然性はない。

 

まったく恣意的に定まった必然としての形相性(および、それと一体化してのみ生じる意味内容)の相互的諸関係の作動をなしている言葉、しかも必ず体系的な動作をなしている言葉の、ある一定の〈作動の様式〉に応じて初めて決まる〈意味する〉仕方が、それとして決定的であり、最終的な確実性であると信じられれば、そういう不在のまま現前するなにものかは、あたかも〈現実〉そのもののような顔をして世界のうちに確立されるということを忘れている。(湯浅博雄 『他者と共同性』)

 

言葉と対象との不可分な結びつきとして「現前」には「最終的な確実性」という信念に関する審級の審判がある。この信念によって最終審を越えた言葉は、以降、文字通り実在そのものとして、再現(=現実)として振る舞う。言葉と実在物は美しい対照関係を構成する。私は今ここの世界に参加するその瞬間に既にこの審級によって包摂されている。言葉は私に先立って常に既にここにある。そしてこの「最終的な確実性」の果てに、ふたたび祝祭=言霊が現れる。
 子安宣邦は平田篤胤による『古史本辞経』に記された「言霊の幸はふ国」という記述を手がかりに、篤胤の言語感について「言語を、天地という、人間を含む自然的存在のアルケー(元基)との関連でとらえ」ていることを指摘し、それを「天地自然に通う音声言語」(『本居宣長』)であるという。言霊とはすなわち言葉それ自体が内在させる喚起力である。「雷鳴」という語が「最終的な確実性」である意味の同一性、再帰性を通りこしてさらに閃光とともに惑乱を引き起こすように、言葉それ自体が人為=辞書を越えてあたかも有機体のように振る舞い、天地自然に通う声として存在すること。だがこの喚起力、言霊こそが、恣意性を必然にまで高めた「最終的な確実性」、任意に取り出された「ある一定〈作動の様式〉」のくりかえしの果てに、あたかもそれが呼吸のごとく、またっくの無反省に作動する地点にまで導きだされたときにもたらされた結果ではないか。祝祭はそれゆえ言葉の確実性をリズムへと変容し、その意味を溶解させることによって言霊といわれる純粋さ(自然)を抽出することで逆説的に象徴体系=意味=辞書を強化する。たとえば「死」の恐怖を「生」の希望へと変形させる(=文学)にせよ、それは祝祭という形態が常にそれ自身の内部に孕んでしまう中心、あるいは疑似的に実体化される超越性によって吸収される。しかし、『仮往生伝試文』においては、「死」はいかなる意味でも「私」の対象となりはしない。それは変形を被る対象ではない。私は「ただの言葉」、字を通り越したシミとしてそれを解読しこそすれ、死が特別な意味を形成し、「私」の秘密として物語を構成することはもはやない。換言すれば、既に、「死」は自らに引き受けられることで「生」を逆照射する動機づけとしての機能を剥奪されている。

 

夏の夜のもう明け方近く、ふと浅くなった睡りのなかで、信子は《ほおい、ほおい》と二声呼ぶ声を耳にしたような気がした。声は遠くから、男の声とも、女の声とも、鳥獣の声ともつかぬくらい柔らかな音色で広がってきて、二声目の余韻とともにどこか一点へすうっと吸いもどされ、まどろむ信子のこころを遠くまでさらってゆきかけた。(中略)山の中へ入って行ったと、信子はつぶやいた。そしてむしろ満足げな気持ちで、睡りの中へ沈み込んだ。それから、信子は山の気配さえしない都会の寝苦しい夜の中に目覚めて、下腹で胎児が動くのを感じた。(古井由吉『子供たちの道』)

 

《ほおい、ほおい》と呼ぶ声、言葉の呪術によって、都会の夏に自堕落に寝そべる身重の信子のこころは、胎児の気配とともに二十年前の夏へと連れ去られていく。そこは戦火を逃れてやってきた祖父の村である。この村へ彼らもまた戦火に追われ辿着いたのであろう二人の孤児(カツとトシ)が村の入り口、吊橋の袂に現れた。古井由吉はこの小説で言葉の来し方、行く末を子供たちの通った道としてもう一度辿り直す。

 

もともとは、自己と他者を隔てる、乗り越えられない壁などは存在せず、両者は自由に行き来したり、ときには溶け合ってひとつになったりしうるのである。そうでなければ「共感」とか「同情」などがそもそも人間の本性に属することの説明がつかないだろう。そして周知の通り、メルロ・ポンティやワロンは、人間が原初的には自他未分の状態にあることを、幼児の体験様式からみとっている。言葉を語り出すとき、他者を十全にとらえるとき、われわれはいつも、この幼児期からの「原初的な自他未分離の場」にいったん身をおくのである。

シーニュによって表出される自己は、自己自身のすべてではなく、そのつどの自己の一部の限られた領域に過ぎない。そしてシーニュを媒介にした交流では、自己と他者とは、互いに不透明な壁によって隔てられ、互いに相手の一部しかわかり合えない。根源的沈黙のうちにあって、意味志向が「あいだ」に生じたその時点では互いが十全に現前しあっていたのに、言葉が生まれた途端に、互いに隔てられてしまうのである。(「つつぬけ体験について」『内省の構造』 長井真理)

 

私は通常、言葉を通して、言葉を媒介手段として用いることによって何かを示し、誰かを理解する。しかし、言葉が拒否されるある超越的な場所、自他未分離の地点においては言葉の不在こそが互いのすべてを現前化させる。そこには赤裸々な私、すなわち対象となる以前の、属性をはぎ取られた私がいる。
 長井真理は言葉の生まれる場所に「沈黙」の世界を見ている。しかし、ここで言う沈黙とは言葉の不足、あるいは欠如をいうのではない。M・ピカートに倣えば、この沈黙は「もろもろの始原的現象のうちの初生のもの」(『沈黙の世界』)としての沈黙である。この沈黙の世界では自己と他者を隔てる乗り越えられない壁は未だ存在しない。「原初的な自他未分離の場」、根源的な沈黙にあって、私は世界と融合している。そしてこの沈黙、融合は、例えば母子関係にのみ還元されうるような幼児の体験様式にとってのみ特権的なものではない。私は成人に至ってなお、根源的なこの沈黙に依存することによって、ようやく共感を完成させる。言葉はこの沈黙、世界との融合状態を母体としながら、しかし当の母体に亀裂を走らせ、そこを引き裂くことで生まれ出る。私が生まれるのである。しかしこのとき言葉は、もはや十全な姿の私を他者の前に現前化させることはない。言葉によって他者に引き渡される私の姿は、もはや私ではなく、しかしようやく私なのである。私は言葉によって隠蔽され、内面という秘密を抱え込まされることで、ようやく、いまここの私となる。すなわち、この私とは徹頭徹尾言語的な存在なのである。
 なるほど、共感について考えるとき、彼と彼女が完全に言語的存在としてそこにあることは考えられない。彼と彼女は皮膚一枚隔てたその個体性から流出し、当の個体性の根拠である言語の壁を乗り越えて融合をめざす。しかし共感に対するこの観念的なヴィジョンは、何かしら空虚を実体化してしまうレトリックを内包している。共感を自他未分離の中に主題化することは、ついに共感は「つつぬけ体験」という病を通じてしか成立しないことを示唆してはいまいか。沈黙は意識に対して常に病である。
 メルロ・ポンティは一つの絶対的な意識(フッサール)を拒否することによって自らの現象学を切り開いた。「還元のもっとも偉大な教訓とは、完全な還元は不可能だということである(『知覚の現象学』)」という、この還元の不可能性への言及は同時に、私には完全な共感も融合も不可能であることの告白でもある。恋愛は常に悲劇としてのみ物語りたりうる。だがその物語が根源的に内包する物語の秘密とは、恋愛がついに一度として完成しなかったことの事実にある(ムージル『愛の完成』)。恋愛の未完成、病(無意識の)の不可能性のドラマ。彼と彼女は互いに相手のすべてを手に入れたと確信した次の瞬間、各々相手による支配(内面化=言語化)という暴力の果てしない裏切りの中にその身が曝されていることに気づく。

 

今度は菓子をちぎっては気ままに四方へ放り投げて、子供たちを一生懸命の走りまわさせる。しかしそれは気ままのように見えて、実は綿密に測られていた。菓子のかけらはどちらかの子供だけがどうしても拾えないところに、どうしても拾えない間合いで、くりかえし的確に落ちるのだ。そうなると、今までは男の気紛れを等しく分け合っていた二人がにわかにお互いの存在を意識しはじめ、お互いに押しのけようとしてかえって体をぴったりと寄せあって、一塊になって男のまわりをじりっじりっとまわりはじめる。そしてしばらくすると。どうしても施しにありつけないほうの子の顔に、いたましい変容が生じるのだ。顔全体が水を含んだ泥のようにふくれあがって、鼻すじや口もとから子供らしい爽やかな線が消え、目は哀しい欲望ののぞく二筋の腫れぼったい裂け目にすぎなくなる。ところがまたしばらくすると、いきなり奇跡が起こって、二人の立場は逆転してしまう。そうなると、今までなまじ恩寵になじんだこのほうに、いっそう無残な変容が生じる・・・・・。(『子供たちの道』)

 

一人の男によって企図されたゲーム、戯れは子供たちの間に乗り越え難い隔たり、皮膚一枚の存在感を明確な意識として生じさせる。子供たちは自らのうちに湧出する他者への欲望と、それによって接触へと導かれる互いの身体の隔たりという存在感の中で、子供であることからひとつの個体として、自律した欲望の意識へと変容していく。それはあたかも自他未分離の融合状態から、言葉が生まれ出る様を想起させるに十分である。
 『子供たちの道』は非常に強固な、構造論的に組み立てられた物語をその内部に堅持しているといえる。子供を言葉に見立てることで、以後、シンボリックに男は象徴体系という役割を担わされ、女はまさに母親という意味での祝祭性、無意識、さらにはアブジェクシオン(J・クリステヴァ)という役を演じることを要請されている。

 

お腹のなかで赤ちゃんが動くようになると可愛くなるでしょう、と近所の人がいう。しかしこの胎動が可愛いとは、どういうことなのか、信子にはわからなかった。胎児が体のなかでふと手肢をつっぱる、どこかの庭で仔犬が寝呆けて鼻を鳴らす、窓ガラスに映る鉢植えの影が風もないのに葉を揺する、それはどれも大きな暗闇からの微かなまばたきのようなもので、哀れとは思っても、手の出しようもない。大きな暗闇のほんの一部でしかないくせに、妙に人なつこい表情で訴えてくる、それでいて、手を差し伸べてやろうとすると、もう影もない。だいたい子供は五つ六つになっても、まだそんな感じを残しているものだ。信子は子供が好きではなかった。子供はたえず、そこから生まれて来た暗闇の中へまたもどろうとする。

母猫はときどき、生まれたばかりのわが仔をつぎつぎに呑み込んで、暗い母胎の中へ送りかえしてしまうということだ。仔どもを外敵から守りきれないと知って、いっそ母の手で死を与えるのだろうか。それとも、産後の疲れきった体を、無残な錯乱が襲うのだろうか。いや、それは自然の仕業なのだ。自然が自分の産んだ仔を、自分の手で連れもどすのだ、盲目の母性が猫を虜にしてしまうその前に・・・・。(『子供たちの道』)

 

男の手によって言葉として自律することを強要される子供は、その一方で個体として自他未分離の場所に投げ出される瞬間、母親自らの手によって母胎へと送り返される。しかし、古井由吉はここでも物語=秘密を拒否する。男=父・象徴体系、女=母・無意識、子供=言葉に配置された役割分担の物語は、主役である子供の所在(=行き先)を明示しないまま終幕となる。子供=言葉は確かな手ごたえという意味での対象にはなりえない、「哀れとは思っても、手の出しようもない」存在なのである。
 子供たちの道は一つの円環、円陣というイメージを形成する。子供たちの道とは、町から村へ、男から女へ、そして山の中へと辿ることとなった子供たちの足跡であるというよりもむしろ二十年という歳月を、戦争から敗戦後を生きてきた信子のこころ、そして今や子供を宿した信子の身体に刻み込まれる子供たちの痕跡である。子供たち(=言葉)は象徴体系(辞書)に意識(語彙)として解消されることもなければ、母なるものの情念に呑み込まれ「狂う」こともない。ただ黙って山(自然)の中に入っていったのである。そして彼らは今ふたたび信子の胎内に戻ってきた。だがそれは一般に言われるような母子関係=自他未分離の状態ではない。子供は意識にとっても無意識にとっても「哀れとは思っても手の出しようもない」異和としてのみ存在する。
 このとき信子の胎内に宿った異和は彼女(小説)を通り抜けて古井由吉その人の言葉の起源、表現の出発点=対象の不在、小説の不可能性に辿り着く。「何かについて書く」ことが、いまだに小説の自明性であるとすると、子供たちの道の終着点、「翌朝、トシの姿も見えなくなった。山に入って行った、と信子は思った」は同時に始発点として「信子は山の気配さえしない都会の寝苦しい夜の中に目覚めて、下腹で胎児が動くのを感じ」ることへと円陣を形成し、祝祭と「自殺の禁止」、対象の不在という不眠へと子供を引きずり込む。
 子供という存在はどこかに還元されるような普遍的な実体ではない。子供=言葉は安定した自己同一性、確定された意味を持たない。言葉は「最終的な確実性」=対象への結晶の手前であり、母の胎内における異和感という意味ではそれ以降である。対象の欠如とは世界と言葉の間が生み出す差異であり、この差異が小説を既に「何か(任意の対象)について書く」ことを、透明な表現への到達を不可能にしているのである。この場所で古井由吉は、言葉(子供たち=不在)によって言葉を表現するという矛盾に満ちた冒険を冒しているのだ。古井由吉の小説は、今や小説という形式が対象の不在を表現する一つの形式であるという認識、表現の不可能性の認識としてある。

 

表現というものの無力さの認識、それがあらゆる表現者の出発点であると私は考える。(「表現ということ」)

 

言葉が対象の不在を表現するということ、表現の無力さにおいて表現を可能たらしめる逆説、そこでは言葉は不眠として振る舞う。意識に充足することもできず、祝祭のなかで狂うことも禁止された言葉。小説の不可能性という地点から出発する「小説」はその中で言葉を回復することで小田切秀雄のいうアンガージュマン(「何かについて書く」)の文学から、端的に「書く」ことへと小説を転回する。そして、不眠には「こうしても暮らしていける」(「不眠の祭り」)という一つの態度決定が含まれる。小説を書くことが一つの態度決定となる様態、氏はそれを「エッセイズム」として定義する。

 

エッセイ(試みる)とは、ひとりの人間の内的な生が、一つの決定的な思考において取るところの、一回限りの変更し難い形である。(古井由吉『ムージル 観念のエロス』)

 

不眠における態度決定、そこにはもはやいわゆる作家、「何かについて書く」主体は存在しない。眠ることの可能性や覚醒することの可能性から疎外された思考の形態としての不眠。相互補完的に一方を他方において同時に成立させるための必要条件から逸脱してしまった状態。出口なし。もはやそこでは通常の精神分析は機能しない。意識 無意識という回路=風景を構成することのできる視線は既に破綻している。無目的に運動する思考(対象の不在)の恐怖。私の意識は眠ることも起きることもままならない。そこには方向というものが存在しないのだ。それは既に私の意識=私ではない。たとえばそれは、雪の下蟹の姿である。

 

その時私はまた海の底の蟹のことを思い浮かべた。雲がわきかえり、海がうねるにつれて、食欲が募り、岩間の匍行がせわしくなり、白い肉が熟れていく。卵巣の成育も空と海の動きの一部であり、岩角で醜悪な鋏みをもわもわと動かすのも海のうねりを感じて藻が揺れ動くのと少しも変わりがない。それなのに蟹は重い甲羅を引きずってまるで生きていくことがそのまま、一種の病のように見るからに苦しそうに海底を這いまわっている。甲羅ができる前には半透明の膜につつまれたプランクトンの仲間として海中を漂い流れ隅々ほかの土き物の餌食になるのも、ほとんど死とさえ言えなかった。だが甲羅ができてからというもの、どんなに空と海と感応して生長しても蟹の生命はもう甲羅の中から、歩も外へひろがり出ることができない。そして蟹はわれとわが生命に病んで、刻一刻と甲羅の中に死を育てていく。無数の卵を海中へ放出して、再び自然の中へおのれの存在を拡散させようとしても結局は何の救いにもならない。その後にも蟹の生命は甲羅の中に残りそのまま甲羅の中で最後の異和感を死ぬ。紅い卵巣の中で鍼が黒く錆ついていく。(古井由吉『雪の下の蟹』)

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