Spielraum
制度的規整の機能と限界

ベルンハルト・ワルデンフェルス/水谷雅彦 訳
『理想』1984 5 No.612 特集:現象学・解釈学の現在

 芸術の規則にのっとって行動するとき、われわれは至ところで吟味済みの規則性と天才の独創的な無規則性とが対立し、規則性の杓子定規な強制と天才風の奔放とが互いに批判しあうのをみる。しかし、だからといって規則と法則の性格そのものが犯しがたい諸規則に従っているとは言えない。近代が動揺していくきざしのなかで、規則に規定されるもの(Geregelte)と規則に規定されないもの(Ungeregelte)の関係についての古くからある問いが新たな光の下に連れ出される。


 出来上がった意味よりも、意味の生成にねらいを定める現象学が成り立つとすれば、それこそこの問題を手がけるにふさわしいものであろう。まず、行為は徹頭徹尾規則に規定されているのではなく、単に規則に従うだけにはとどまらぬものであるということがすべての行為に関して言える。これは一般的開放性(generelle Offenheit)という形で問題にすることができる。つまり、規則は行動の一般的な指令なのであって、この指令によってすべての適用例と遂行条件が先取りできるわけではないのである。例えば、テニスの規則はボールをどのくらいの高さまで打ち上げてよいかということを指定しはしない(Wittgenstein 1960, No68)。またゲームにはエレガンスということがあって、それも同様に規則から導出することはできないものである。われわれの行動はつねに一定の遊動空間(Spielraum)のなかで動いている。